こんにちは。tsuneです。
第三十番札所は会津美里町米田にある
「曹洞宗普門山弘安寺 中田観音」です。
なかだかんのん
〈目次〉
第二十九番札所雀林観音からは約2㎞の距離にあります。
雀林観音からほぼまっすぐ山にそって伸びる農道を通っていけるのですが今回はわかりやすいように一旦先ほどの道に戻ります。
蓋沼森林公園に向かう道を逆に下ってきます。先に踏切りのある三差路があります。これを踏切りの方に曲がってください。
あとは田んぼの中に伸びる県道をまっすぐ会津坂下方面に向かってください。
橋を渡ると交差点が見えてきます。この交差点に中田観音の案内の看板があります。この交差点を左です。左に曲がりまっすぐ進むと根岸駅があります。その先にも中田観音の案内看板があります。
この案内看板を曲がって少し進むとお堂の裏側に出るのでお堂の方に曲がってください。
仁王門
正面の仁王門です。仁王門には大きな草鞋が飾られています。
弁天堂
仁王門をくぐると右側に弁天堂があります。
こちらはもともと十一面観世音を祀った厨子だったが、観音堂修復の際、堂外に出して弁天堂と改められてと伝えられています。
観音堂
観音堂の前には大きな香炉があります。
香炉の先に観音堂があります。
この観音堂は野口英世の母シカが深く信仰し息子のやけど治療と立身出世を願い、毎月17日に月詣りをかかさなかったことでも知られています。堂内には親子の参詣写真が残っています。
お堂には信じて抱きつけば念願が叶うと言われる「抱きつき柱」があります。
お堂の右側には「旧抱きつき柱」があります。
昔、佐布川村の江川長者の娘、常姫が参詣した折、中田の地頭、富塚盛勝と出会ったそうです。常姫は参詣に来ていた人々の貧しい姿を目にして、江川家と盛勝公の財産を合わせて人々に分け与えれば生活が楽になるだろうと考え、盛勝公のもとに輿入れを望んだそうです。しかし、縁談は調わず、常姫は亡くなってしまいました。江川長者は常姫の供養にと文永11年(1274年)、等身大の十一面観世音像を安置したそうです。
地蔵菩薩と不動明王を脇侍として安置されています。
お堂の中は撮影禁止ということでここには掲載できません。
お堂の外には恵比須様でしょうか彫り物があります。
御朱印
御朱印はお堂の脇の社務所でいただけます。こちらがいただいた御朱印です。
アクセス
中田観音(なかだかんのん)について
御本尊:十一面観世音菩薩
大沼郡会津美里町米田字堂ノ後甲147
駐車場:ございます。
祭礼:おこもり大祭8月9日、10日
菊祭り大祭11月1日~10日
参拝:自由 拝観は前日まで要予約。
参拝料:500円
御詠歌
「巡り来て四方の千里を眺むれば これぞ会津の中田なるらん」
めぐりきてよものちさとをながむれば これぞあいづのなかだなるらん
会津三十三観音もやっと第三十番札所まで書くことができました。もう少しお付き合いいただけたら嬉しいです。
tsuneでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。